2022.01.17
【連載】世界一やさしい「鍼灸の歴史」
講座vol.1 日本での鍼灸の始まり
「鍼灸」の本が難しいのにはワケがある
はじめまして! 鍼灸ジャーナリストの山口智史です。
この連載に興味を持ってくれて、どうもありがとうございます。このタイトルに惹かれたみなさんは「鍼灸の歴史的な背景を知りたいけれど、なかなかきっかけがなくて……」という人が多いのではないかと思います。
「鍼灸」をテーマにした書物はすでに世に多く出版されているものの、どれもちょっと難しそうですよね。あともう一つ、書き手の思いが強すぎるがゆえに「最初のほうは易しく理解できたのに、段々とわかりづらくなってきたぞ……」という本も少なくありません。これは、書き手が悪いわけではなく、鍼灸の世界がそれだけ多様性が豊かで「これがスタンダート」というのが書きづらい、というのが原因にあるのではないかなと思っています。
鍼灸のあらゆる現場を駆け回った日々
「そういうあなたは何者なの?」
そう思いますよね。今回は連載の1回目ですから、少しだけ私自身の話をします。私は1年半前から、フリーランスの物書きとして活動しています。
前職は、鍼灸の専門出版社「医道の日本社」で、編集記者として働いていました。月刊「医道の日本」は残念ながら休刊してしまいましたが、鍼灸学校の在校生や卒業生でしたら、社名くらいは耳にしたことがあるかなと思います。教科書を発行していますからね。私は医道の日本社に入社して以来、鍼灸マッサージ師の先生方を主に読者対象に、月刊紙や単行本、そして、治療技術のDVDなどの編集をしてきました。
実は、私にとって大学を卒業して勤めた会社は、この出版社だけ。つまり、23歳で入社して以来、40歳で辞めるまで、実に17年も鍼灸マッサージの月刊誌や単行本を作り続けてきたことになります。2016年からは編集長も務めました。多くの先生方に支えられて、なんとかやってこられたなあと、今改めて実感しています。
これまで鍼灸のありとあらゆる治療法に触れてきただけではなく、あん摩マッサージ指圧はもちろん、カイロプラクティックやオステオパシーなど海外の手技の現場も多く取材してきました。ヨガや食の本も手がけています。専門出版社の編集者でありながらも、そのジャンルは多岐にわたります。なにしろ、鍼灸の治療法だけでも、相当数ありますからね。
治療院や学会などを取材するなかで「山口さんは鍼灸の資格をお持ちですか?」と聞かれることも多いのですが、私は国家資格を持っていません。それどころか、大学を卒業したときは「鍼灸」のことを全く知りませんでした。とにかく出版社に勤めたくて、たまたま縁があったのが、この業界だったのです。
そこから、17年にわたって鍼灸マッサージ業界にまつわる活字の海でもがきながら、少なからず鍼灸業界の良い部分と、「もう少し改善したほうがよいかも?」という部分の両方を観てきました。
そんな背景を持つ私なので、できるだけフラットな観点で、かつ、とっつきやすい内容を心がけて、この連載をお送りしたいと思っています。
鍼灸の学校が増え続けたのはなぜ?
とはいえ、「鍼灸の歴史」という響きからして、どこか自分から遠いものだと感じる人もいることでしょう。治療法を学んだほうが、すぐ役に立つと感じるかもしれません。しかし、過去に鍼灸業界で起きたことはすべて「歴史」であり、そこから現在の業界が抱える課題や、今、自分が直面している状況が見えてくることもあります。
例えば、ある年を境に、月刊「医道の日本」では、3月号で毎年恒例となる企画が生まれます。それはカラーページでの「鍼灸学校の新設校紹介」です。2000年には5校、2001年には6校もの、鍼灸学校が新設され、2002年にはなんと15校も新たに鍼灸学校が生まれました。ちょうど私が医道の日本社に入社した年が、鍼灸学校の開設ラッシュの頃だったんですね。
誌面を作るために、新設校の情報をかき集めては、学校に連絡して外観の写真をもらい、定員数を調査する、というのが、年末から年明けにかけての恒例の仕事でした。当時は、その意味がよくわかっていませんでした。「ふーん、鍼灸学校は毎年、新しいところが開校されるんだなあ」とさえ思っていたくらいです。
その契機となったのが、1998 年 8 月の福岡地裁における「柔道整復師養成施設不指定処分取消請求事件判決」(福岡判決)です。この判決以降、鍼灸学校設立の規制が緩和されて、2002年の15校をピークに、2003年は8校、2004年も8校、2005年に至っても6校と、2000年以降は毎年のように、鍼灸学校が増え続けることになったのです。
ところが、今はどうでしょうか。新設はほぼ聞かなくなり、定員割れによって閉じる学校も増えてきています。つまり、学校を増やしすぎたんですね。
鍼灸師の質が低下している?
鍼灸学校が増えるということは、毎年の卒業生が増え続けるということにほかなりません。月刊誌の企画では2007年の10月号で「鍼灸師大量輩出時代が来た!! 」という特集を組みました。まさにその通りになり、増えすぎたがゆえに、誰でも鍼灸学校に入れる時代を迎えて、「鍼灸師の質の低下」が叫ばれるようなります。
みなさんは、この教育サイト「鍼灸の学校」を訪れているわけですから、少なからず「鍼灸の卒後教育」に関心があることでしょう。治療の現場に出るにあたって、学校の勉強だけでは足りないのではないかと感じている。それは、鍼灸師が増えすぎてしまった今、すごく真っ当な感性だと思います。福岡地裁での判決は「歴史」と呼ぶには、最近の出来事だと思うかもしれませんが、鍼灸業界にとって、一つの大きなターニングポイントになった、重要な歴史的な出来事といえます。
もちろん、鍼灸学校が増えて「鍼灸師になろう!」という人が増えるのは良いことに違いありません。しかし、その一方で「鍼灸を受けたい」という患者さんは増えているでしょうか。鍼灸の受療率をみても、どうもそうとは言えなさそうです。
鍼灸をもっと知ってもらい、ニーズを広げていかなければ、鍼灸師が余ってしまいます。つまり、鍼灸師の大量排出の課題は、そのまま鍼灸を普及啓発することの重要性へとつながってくるのです。
「大宝律令」に鍼医が登場
「鍼灸をもっと広めていく」ためにも、鍼灸が持つ歴史を語ることは欠かせないと、私は考えています。日本で綿々と受け継がれた伝統医療にもかかわらず、鍼灸はあまりにも知られていないからです。
自分がまさにその「全く知らなかった」一人だったからこそ、鍼灸を一人でも多くの人に知ってほしい、という思いは、今こうして組織から離れて、フリーランスとなった立場でも、強く思うことです。
実際に、鍼灸が多くの患者さんを支えてきている現場を長年見てきたわけですからね。鍼灸とさえ出合えれば、救われる人は全国にたくさんいるに違いありません。
「じゃあ、鍼灸って日本でいつからあるの?」
伝統医療だと打ち出すには、そのことを知っておく必要があるのですが、実のところ、日本で鍼灸がいつ生まれたかははっきりしたことがわかっていません。
ただ、562年に高句麗に遠征していた古墳時代後期の豪族、大伴狭手彦が帰国しています。その際に、財宝だけではなく、仏典や医法書も持ち帰っていますから、中国医学に触れることにもなったでしょう。そして607年には、聖徳太子による遣隋使の派遣によって小野妹子が隋へ行くなど、中国との交流が深まっていきます。
その後、中国で隋が滅びると、日本は唐にも遣唐使を派遣します。その一員の一人が、医師の薬師恵日(くすし・えにち)で、彼が唐の制度を日本に伝えることになります。そのときに、医薬と鍼灸の教科書がもたらされたといわれています。
701年に完成した『大宝律令』については、多くの人が聞いたことがあるでしょう。日本初の本格的な律令であり、職制が定められています。そのなかで「医師・医生」だけではなく、「鍼博士」「鍼師」「鍼生」も定められているのです。
そんな昔から鍼師がオフィシャルに定められているなんて、なんだか嬉しくなりますよね。さらに「大宝律令」のなかの「医疾令」では、「針生七年成」とあります。そう、鍼は7年の修行が必要だとされていたのです。
現在、医師は学部での6年間に加え、2年間の研修が必須課程となっています。一方、鍼灸師は3年で養成施設を卒業し、免許の取得を目指すことができます。もちろん、卒後教育の力を入れている養成施設や団体もあり、私も取材を重ねてきました。しかし、全国的にみれば、まだまだ十分な卒後研修が行われているとはいえません。
多職種と連携する上でも、卒後教育を行い、鍼灸師の質を向上させることが必要不可欠です。まさに今、みなさんがこの教育サイト「鍼灸の学校」を訪れている意義を、飛鳥時代末から奈良時代中期に成立した「大宝律令」からも見出すことができるといえるでしょう。なにしろ「針生七年成」ですからね。専門学校の場合は卒後4年間、大学の場合は卒後3年間にどこでどんなふうに、鍼灸の技と知識を磨くかが、重要となってきます。
長きにわたる歴史にこそ、鍼灸の独自性とストロングポイントがあり、それを知ることはとても大切なことだと確信しています。
また、私は偉人研究家の「真山知幸」として、偉人の著作も数多く書いています。鍼灸業界ひいて医療業界全体の「偉人」もとりあげながら、本連載では「鍼灸の歴史」をみなさんと一緒に学んでいきたいと思っています。ぜひ、お付き合いください。
では、また来月、お会いしましょう。
【参考文献】
1) 箕輪政博,形井秀一.福岡地裁判決が鍼灸教育の質へ及ぼした影響 学生や教員の質に着目して. 社会鍼灸学研究 2007; 2: 19-24
2) 医道の日本社編集部. 鍼灸師大量輩出時代が来た!!. 医道の日本 2007; 66(10):20-39.
3) 東京宣言起草委員会委員. 日本鍼灸に関する東京宣言 2011 ―21 世紀における日本及び世界のより良い医療に貢献するために― 3) 小曽戸洋、天野 陽介『針灸の歴史: 悠久の東洋医術』(大修館書店)