2022.12.20
【連載】世界一やさしい「鍼灸の歴史」
講座vol.12 曲直瀬道三による名著『脈論口訣』から学べること
こんにちは! 鍼灸ジャーナリストの山口智史です。
フリーランスになって3年が経ちますが、この連載を始めに鍼灸の分野でも書く場をいろいろと与えてもらえて有難い限りです。
今日はちょっとした昔話をイントロにして書き始めたいと思います。
私は、業界出版社の医道の日本社で長く編集者として働いていたので、これまで多くの新人さんと接してきました。
誰もがみな最初は新人ですからね。編集長を務めていたこともあり、面接もかなりの数を行いました。
面接での会話や、新人も含めた編集会議で、出てくるのが「企画」の話です。
つまり、どんな本を作りたいのか、もしくは、どんな誌面を作りたいのかというアイデア出しですね。
この「企画」が、業界誌では非常に難しいんですね。
なぜならば、読者がプロだからです。
これが一般向けの媒体ならば、たとえどれだけ馴染みのない分野であっても、ビギナー向けの企画は成り立ちます。
しかし、業界誌はそうはいきません。
プロの気持ちになって「何が読みたいか」を考えなければならないのです。
このハードルがあまりに高いので、大体、新人の頃は「専門誌のノウハウを生かして、一般の人に鍼灸を知ってもらう」という企画を出しがちなんですけれども、そもそも一般向けは流通も違えば、価格帯も全く違います。
なかなか現実的には難しかったりします。
企画ができるようになったら一人前――。
業界誌の場合は、特にそう言えると思います。そして私にとって忘れられない企画。
それが、この連載で前回と前々回でお送りしてきた曲直瀬道三が書いた『脈論口訣』の現代語訳です。
企画誕生の背景からして、ドラマチックなものでした。
『脈論口訣』は、経絡治療のルーツともいわれています。
今回はそんな曲直瀬道三による名著の現代語訳がいかに生まれたのか。
誕生秘話を交えながら、本書の特徴を解説したいと思います。
曲直瀬道三の何がすごかったのか
室町時代になって、鍼がちょっと衰退期に入るなかで、スーパードクター曲直瀬道三がいかに活躍したのか。
これまでの鍼灸の歴史を踏まえて、おさらいしましょう。
ポイント
・鍼師は奈良時代から国の医療制度のなかで位置づけられて、主に外科治療に携わっていた。鎌倉時代から本格的な鍼灸治療が行われ始めるが、鍼よりも灸のほうが盛んで、仏教の僧が医師として灸法を施していた。
・室町時代になると、眼科、金創、産科などの専門医師が誕生。明の医学や南蛮医学も日本に入ってきて、鍼はやや低調気味となるなか、名医の曲直瀬道三が活躍する。
・道三は第13代将軍となる足利義輝を診察し、幕府や皇室にも出仕。武将たちにも治療を行いながら、人材育成にも尽力して教育施設「啓迪院」を設立。『察証弁治』という医療システムを創り上げて「日本医学中興の祖」となった。
・また道三は薬物治療が中心の医学のなかで、鍼灸をうまく取り入れた。著作では、鍼の重要性を訴える一方で、医師が臨床で併用しやすい灸の活用法についてより多く解説した。
経絡治療夏期大学での運命の出会い
私が曲直瀬道三の『脈論口訣』の現代語訳をしたいと思ったのは、2018年8月10日の経絡治療夏期大学での講義がきっかけでした。講師は、篠原孝市先生です。
経絡治療夏期大学というのは、若い学生も含めて非常に参加者が多い勉強会で、レベル別にクラス分けしたうえで、各教室で同時に講義が行われます。
取材するほうとしては、なかなかハードで、各教室を回りながら、写真をどんどんとっていかねばなりません。
ですので、このときも講義風景を撮影したら、すぐに教室を移動するつもりでした。
ところが、篠原先生の講義内容が非常に面白く、なかなかその場から離れられずに最後まで聞くことになります。
終了後、私は初めて篠原先生にご挨拶にうかがいました。
「月刊 医道の日本」で「臨床に活かす古典」を毎月連載してもらっていたので、そのお礼を伝えながら、いきなりこう持ち掛けたのです。
「講義がすごく面白かったのですが、『脈論口訣』の現代語訳は今あるのでしょうか。なければ、ぜひ企画会議にかけたうえで、先生に訳してもらって出版したいのですが……」
先生もかなり驚かれたようでした。
「考えさせてください」とその場では返事をいただき、後日メールで引き受けてもらった……そんな経緯があったんですね。
このときの私の「面白そう」という直感は、のちに正しかったなと実感することになります。
もっとも、『脈論口訣』の現代語訳プロジェクトがいかに大変かは、このときはまだ知らなかったわけですが……。
脈を診るときの7つのポイントを押さえよう
『脈論口訣』は曲直瀬道三の4つの著作と、それ以外の中国医書や脈書からの引用で構成されたもので、道三の死後、1683(天和3)年に出版されています。江戸時代で、徳川第5将軍、綱吉の時代です。
なぜ、そんな時期に、室町時代に活躍した曲直瀬道三の本が出版されたのかというと、いわば、リバイブルブームのようなものが起きていました。1615年に大阪夏の陣によって、豊臣家は滅ぼされて、江戸幕府が名実ともに全権力を掌握します。
それから50年以上が経ってから、すでに昔の戦国時代から江戸の初期にかけての頃を振り返る機運が高まったわけです。
そんななかで注目されたのが道三の『脈論口訣』です。
本書は全部で5巻あります。第1~3巻では、タイトル通りに脈にまつわる基本的な事項が記載されています。
第1巻の冒頭では、脈を診るポイントが記載されています。
第一に心を静粛にすべきである(神気を存らしめること)
第二に気を散らさないようにすべきである(無心になること)
第三に呼吸を整えるべきである(呼吸を安定させる)
第四に指で軽く触れて皮膚に府脈を探る
第五に指を少し重くして肌肉に胃の気を診る
第六に指を沈めて骨上に蔵脈を診る
第七には病人の脈搏と呼吸の数を察する
そのほか「浮脈や沈脈とは、どんな脈なのか」「六部の脈診や人迎気口の脈状診では、どこを診るのか」など脈診において重視すべき点が、わかりやすく解説されています。
曲直瀬道三による「医療者へのアドバイス」
続く、第4~5巻は、臨床でどのように活かしていくのか。
小児や妊産婦への脈診と臨床について述べられているほか、漢方や養生法、灸法についても解説されています。
最初に私が面白いと思ったのが、第5巻の「医家の必用」です。こんなふうに医療者の心構えがかかれています。
「門を通るとき、その中央に立ってはならない」
「坐った時、壁によりかからない。臥す時にも帯を解いてはならない」
「衣裳を口の上まで上げて口を覆ってはならない。
「みだらな気持ちを起こしてはならない。貪欲な気持ちを起こしてはならない。怒りの気持ちを起こしてはならない」
「食事があれば、必ず早く食べることはせず、自分の息で吹いてその後に食すべきである」
結構、細かく書かれていて、理由をいろいろ想像するのがおもしろかったりします。往診時の注意も、具体的です。
「出かけることがあれば、歩みは静かにするべきである」
「初めて来診の要請の知らせが来た時には、慌ただしくとも、その病状を徹底的に問うべきである」
「往診に急いで行くべきかどうかは、その事情に従うべきである」
みなに「慌てるなよ!」と呼びかける道三の姿が目に浮かんできて、なんだかタイムスリップして弟子たちと一緒に道三の講義を受けているような感覚を味わえます。
ちなみに、訳者の篠原先生が、この5章で注目したのは、「病人が暗いところを好むのか、明るいところを好むのかと問うべきである」という箇所。
篠原先生自身が往療をするとき、患者さんがどういう部屋に寝ているのかを必ず確認するそうです。
「患者さんが寝ている部屋が、明るいか暗いかで、予後が全く違う」と、発刊後のインタビューで述べています。
私が曲直瀬道三の『脈論口訣』に惹かれたのは、こうした現代にも通じるテーマを内包していることです。
室町時代に活躍したドクターの書いた書物について、令和を生きる私がこうしてみなさんに向けて書いていること自体が、すごいことだなあと思います。
こうして、室町時代後期になると再び鍼が盛り上がっていきます。
様々な鍼の流派が生まれて、鍼灸界に多大な影響を与えた、杉山和一の「管鍼法」へとつながっていくことになります。
(つづく)
【参考文献】
1) 曲直瀬道三『鍼灸集要』[『曲直瀬道三全集』第2編](オリエント出版社)
2) 曲直瀬道三 著、 篠原孝市訳『現代語訳 脈論口訣―原文・注釈・解説付き』(医道の日本社)
3)篠原孝市監修『臨床鍼灸古典全書 第58巻』(オリエント出版)
4) ヴィグル・マティアス「曲直瀬道三と16世紀の日中鍼灸医学」曲直瀬道三と近世日本医療社会、2015年
5)吉田和裕「日本における鍼灸の歴史 ―室町から江戸期にかけての受容と発展について―」 社会鍼灸学研究、2010年 (通巻 5 号)
6)小曽戸洋、天野陽介『針灸の歴史 悠久の東洋医術』(大修館書店)