2023.01.23
【連載】世界一やさしい「鍼灸の歴史」
講座vol.13 江戸時代は灸が欠かせないセルフケアだった
こんにちは! 鍼灸ジャーナリストの山口智史です。
この連載も2年目に突入しました。いつも読んでくださっている先生方、ありがとうございます。
回を重ねるごとに、SNSなどの反応も増えてきましたね。2023年も鍼灸の歴史について、引き続きお送りいたします。
今年もよろしくお願いいたします。
さて、この連載でも何度か取り上げたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わり、「どうする家康」が始まりました。
徳川家康といえば、健康オタクとして知られていました。
織田信長や豊臣秀吉が志半ばで倒れていくのを観ていますからね。
常に死と隣り合わせの時代だからこそ、できることはやっておこうと家康は考えて健康管理に励んだのでしょう。
前回まで3回連続でお届けした戦国のスーパードクター、曲直瀬道三は、家康に医術を授けたともいわれています。
もしかしたら、道山が大河に登場したりもするのでしょうか。
そんな視点で楽しんでみてもいいかもしれません。
前回のまでのおさらい
1年かけて奈良・飛鳥時代から室町時代までの鍼灸の歴史について、解説してきました。おさらいしましょう。
ポイント
・鍼師は奈良時代から国の医療制度のなかで位置づけられて、主に外科治療に携わっていた。鎌倉時代から本格的な鍼灸治療が行われ始めるが、鍼よりも灸のほうが盛んで、仏教の僧が医師として灸法を施していた。
・室町時代になると、眼科、金創、産科などの専門医師が誕生。明の医学や南蛮医学も日本に入ってきて、鍼はやや低調気味となるなか、名医の曲直瀬道三が活躍する。
・道三は第13代将軍となる足利義輝を診察し、幕府や皇室にも出仕。教育施設「啓迪院」を設立するなど人材育成も行う。『察証弁治』という医療システムを創り上げて「日本医学中興の祖」となった。
・また道三は薬物治療が中心の医学のなかで、鍼灸をうまく取り入れた。著作では、鍼の重要性を訴える一方で、医師が臨床で併用しやすい灸の活用法についてより多く解説。さらに経絡治療のルーツともいわれる『脈論口訣』も残している。
ベストは鍼と灸の併用だが……
「もし鍼をして灸をせず、灸をして鍼をしなければ良医ではない。またもし鍼灸をして薬用せず、薬して鍼をしなければ良医ではない」
改めて、よい言葉ですよね。
道三は『鍼灸集要』を著すにあたって、この「若鍼而不灸、灸而不鍼、非良医也」というフレーズを古典から引用しています。
つまりは患者のためにベストな治療手段を選ぼう、ということ。
しかし、そう言いながらも、曲直瀬道三は『鍼灸集要』の各論において、鍼よりも灸を重視しています。
ページも灸のほうに多くを割いているんですね。
つまり、理想としては、鍼も灸も使えるのが望ましいわけですけれども、医師が臨床で応用するのは灸のほうがやりやすいだろう、と考えたのでしょう。
実践では、灸のほうを推奨しています。
患者側はなお、灸のほうが使いやすいことは言うまでもありません。自分で鍼を打つのは難しいけれども、灸ならばセルフケアにも取り入れやすいです。現代でもそうですね。
私は今フリーでいろいろ仕事をしていますが、鍼灸関係で一般向けに書く場合は、ツボか灸がテーマであることが多く、「鍼のことを書いてください」という話は、残念ながらあまりありません。
『日用灸法』は灸のハンドブック
道三の後継者である曲直瀬玄朔(まなせ・げんさく)も、やはり灸治療を重視していました。
『医学天正記』(いがくてんしょうき)は曲直瀬玄朔の代表的な著作で、1607(慶長12)年に刊行されました。
徳川家康が征夷大将軍になったのが1603年ですから、まさに江戸時代を迎えたばかりの頃です。
『医学天正記』は玄朔の治験録で、灸を用いた例が紹介されています。
そして、曲直瀬玄朔による灸の本といえば、『日用灸法』です。
『食性能毒』という本と合わせて綴じたかたちで、1631年に刊行されました。
灸法の概要を記載しながら、各経穴ごとに部位と主治を紹介しています。
上記は「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」からの画像を引用したものです。
冒頭から、指に据える方法(尺寸)、次に髪際に据える方法、そして大椎に据える方法が簡潔に紹介されています。
加えて、切艾の作り方や様々な灸法も解説されています。
わかりやすくて実践的な「灸のハンドブック」のような位置づけといえるでしょう。
そのほか、艾柱をつまむのに用いる灸箸についての記載までありますから、ちょっとマニアックですよね。
かつて月刊「医道の日本」では、何度となく灸の特集を組みました。灸に関する取材では、治療の話だけではなくて、治療にまつわる道具の話が必ず出てきて、そこに臨床家としてのこだわりが凝縮されていたりします。
あれが聞いていて面白いんですよね。
経絡治療学会会長の岡田明三先生は、原宿の神宮前鍼療所で施術を行っており、鍼についても灸についても、何度となく取材しました。
やはり道具へのこだわりがすごいのです。灸については、線香について岡田先生が熱く語っていたのをよく覚えています。
実際に嗅がせてもらい、線香の種類によって香りが全く違うことに驚かされました。
余談になりますが、照明まで自分で直してしまう岡田先生のこだわりについては、以前に動画取材も行いました。現在でも視聴できるようなので、興味のある方は、ご覧になってみてください。
医道の日本2018年10月号連動動画1 神宮前鍼療所へ!
医道の日本2018年10月号連動動画2 師匠と弟子が修行時代と名人の技を語る
セルフ灸にまつわる注意点まで網羅
『日用灸法』の話に戻りましょう。
本書では、禁灸日、つまり灸をしてはいけない日として「血忌日」(血に関係のあることはすべて凶)「血支日(灸をしない日)」「長患日」などが挙げられて、それぞれ日付が記載されているのも、興味深いですね。
それだけ灸が人々の生活に欠かせないものだったともいえそうです。
そのほかにも灸をすべき時間や「風呂に入るべからず。洗浴は翌日より可」といった具体的なアドバイスがなされていて、実践的な一冊になっています。
『啓迪庵(けいてきあん)日用灸法』と題された類似本まで出されていますから、『日用灸法』の内容は当時、かなり広まっていたのではないかと想像できます。
読者に好評ならば、シリーズ本を出そうというのは、いつの時代でも出版屋ならば考えそうなもの。
『日用灸法』ならぬ『日用鍼法』がありそうですが、そうした本は残念ながらありません。
『啓迪庵日用灸法』ならぬ『啓迪庵日用鍼法』はあるようですが、あくまでもプロ向けです。
このことについて『針灸の歴史 悠久の東洋医術』(小曽戸洋、天野陽介、大修館書店)では、このように考察されています。
「灸は一般人が養生的に用いるもの、鍼は熟練した専門家が病気治癒に用いるものという概念によることはいうまでもない。『日本居家必要』(1737)ほか後世の家庭保健書でも灸法はあるが針法は記載されない」
今でもやっぱり一般の患者さんにとっては、灸のほうが身近ですから、江戸時代からそのあたりの事情は変わっていないようです。
しかし、むしろそこに鍼の価値があるのでは、とも私は思います。
例えば、初めて灸を受けるときは「火傷が心配」「熱いのでは?」という不安がよぎりがちですが、いずれも灸そのものに対する心配ですよね。
一方、鍼の場合はやはり「痛くないのか?」が主な心配ごとになってきます。
そこには鍼施術そのものへの不安に加えて「鍼を受けるならば、技術が確かな先生に受けたい」という思いも含まれているように思います。
そこに「鍼のプロ」として価値が出てきそうだと思いませんか?
江戸時代もまさにそうでした。灸が一般的に広まっていく一方で、鍼のほうは熟練したプロが技を磨きながら、さまざまな鍼法を生み出していくのでした。
(つづく)
【参考文献】
1) 曲直瀬道三『鍼灸集要』[『曲直瀬道三全集』第2編](オリエント出版社)
2) 曲直瀬道三 著、 篠原孝市訳『現代語訳 脈論口訣―原文・注釈・解説付き』(医道の日本社)
3)篠原孝市監修『臨床鍼灸古典全書 第58巻』(オリエント出版)
4) ヴィグル・マティアス「曲直瀬道三と16世紀の日中鍼灸医学」曲直瀬道三と近世日本医療社会、2015年
5)吉田和裕「日本における鍼灸の歴史 ―室町から江戸期にかけての受容と発展について―」 社会鍼灸学研究、2010年 (通巻 5 号) 6)小曽戸洋、天野陽介『針灸の歴史 悠久の東洋医術』(大修館書店)