2022.03.16
【連載】世界一やさしい「鍼灸の歴史」
講座vol.3 平安時代から考える鍼灸の役割
奈良時代の鍼灸の振り返り
こんにちは! 鍼灸ジャーナリストの山口智史です。
前回は「遣唐使の時代にも鍼灸の国家試験があった!」というお話をお送りしました。
今年のはり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の国家試験を受けられた方は、いかがでしたでしょうか。
前回のおさらいをしましょう。
ポイント
・奈良時代は『大宝律令』や『養老律令』の施行により、医療制度が整備。「医疾令」という法令によって、医療者を養成し臨床も行う機関として「典薬寮」が置かれた。
・典薬寮の構成メンバーに医師のほか、針を行う「針師」、針を学ぶ「針生」、そして針師のなかでも優秀な「針博士」が位置づけられた。
・医学教育は中央での「大学」と地方での「国学」に分かれて行われた。針生になるには『素問』『黄帝針経』『明堂』『脈訣』『流注図』『偃側図』『赤烏神針等』をテキストとして学び、試験は12題中8題に正解しなければならず、そのハードルは高かった。
実は、かつて私と職場が同じだった人たちも今、数名が鍼灸師やあん摩マッサージ師を目指して、専門学校で勉強に励んでいます。
現在でも連絡をとっていますが、充実した日々を過ごしている様子がうかがえます。
やはり社会人になってからの学校通いは、モチベ―ションが格別です。
そのうちの一人は自己採点で、今回の国家試験を見事に突破したそうです。おめでとう!
「鍼灸師」は現代のほうが知られていない?
私は大学卒業後、鍼灸やあん摩マッサージの専門出版社に新卒で入社して、2002年4月から約17年間にわたって月刊誌や単行本の編集をしたのち、2020年に独立しました(第1回参照)。2016年からは編集長も務めました。
その間にも社員のなかで「自分も鍼灸やあん摩マッサージ指圧師の資格をとってみたい!」という人が出てくるんですね。
理由は大きく分けて2つあります。
一つは「鍼灸や手技の世界に触れているうちに、もっと深く知りたくなった」。こちらは編集部で多いパターンです。
誌面作りをしているうちに「もっと原稿を深いレベルで理解するには……」「臨床家の目線で取材するには……」と悩み、専門学校の入学を考えるというものです。
もう一つはもっとシンプルに「こんな世界があるなんて知らなかった!」というもの。
私も全く業界を知らずに入社し、雑誌や書籍の編集を通して、業界に詳しくなっていきました。
業界関連の会社に入社することで「こんな国家資格があるんだ!」ということを知り、治療家の道を志すというパターンです。
こうしたかたちで資格者が増えるのは、もちろん喜ばしいことなのですが、一方で「まだまだ伸びしろがあるなー」とも思います。
なぜならば、はり師やきゅう師、あん摩マッサージ指圧師という国家資格があること自体を知らない人がまだまだたくさんいるからです。
奈良時代では、朝廷の医療を一手に引き受ける機関で針師が重視されていました。
現在もその時代をみならって、もっと鍼灸師の仕事が広く知られるようになってほしい。
この「鍼灸師の学校」も、そんなきっかけの一つになればうれしく思います。
平安時代になり針師はもっと勉強を求められた
そんなふうに奈良時代に医療制度に組み込まれた「針師」なのですが、平安時代に入ると、新たな流れが生まれます。
それは薬剤の勉強をしなければならなくなったということですね。
具体的な勅令が出されたのは、820年のことです。
針生は下記の書物を読んで学ばなければならなくなりました。
・『新修本草』(唐の高宗の命令で編さんされた20巻からなる本草書)
・『明堂』(後漢時代に成立した兪穴書)
・『劉涓子鬼遺方』(晋末の劉涓子が選び、後に斉の永元元年に龔慶宣が再編し序文を附した外科書)
さらに下記の文献で記された治療法を学ぶことが定められたのです。
・『小品方』(南北朝の時代に書かれた医学書。唐の時代において国定の医学教科書に採用され、『傷寒論』と並ぶ重要文献とされた)
・『集験方』(6世紀後半に成立し、『小品方』と同じく『傷寒論』系の処方医学を主とした医書)
・『千金方』(唐代の孫思ばくにより著された30巻からなる医学書)
・『広済方』(『千金方』や『小品方』と同じく、丹波康頼が『医心方』を編さんする際に、基づいた中国の医書の一つ)
ずらりと文献を並べてしまいましたが、当時の針生も「えー!こんなにー!」と悲鳴を上げたのではないでしょうか。
漢方の文献も含まれているわけですが、一体なぜ、平安時代の針師はこんなに勉強しなければならなかったのでしょうか
平安時代の針師が薬剤も学んだワケ
平安時代になり、針師が鍼だけではなく、薬剤も学ばなければならなくなったのには、理由があります。それは疫病の流行です。
735年から737年には、天然痘と思われる疫病が大流行することになります。
実に総人口の3割前後が死亡したとも言われており、藤原不比等の息子、4人兄弟(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂)もこのときに病死しています。
どうも奈良時代に大宰府に帰国した遣唐使や新羅使が平城京に疫病を持ち込み、それが平安時代にかけて感染が広がったということのようです。
天然痘の症状としては、激しい頭痛と高熱に見舞われることになります。
体中にできた発疹が膿疱となって、やがて膿疱の跡があばたとして残ってしまいます。
容姿が変わってしまうのは、当時の人々にとっても大きな苦痛だったと想像できます。
738年1月くらいにほぼ終息しますが、その後もたびたび流行しています。
幕末に徳川慶喜が将軍に就任するやいなや、孝明天皇が亡くなってしまったのは、この天然痘が原因だったといわれています。
もっとも平安時代のような壊滅的な被害が出ることはありませんでした。
それほど、当時は大きな社会問題だったわけです。
コロナ禍で鍼灸師は何ができるのか?
感染症が大流行を受けて、平安時代の鍼灸師は勉強することが大いに増えたわけですから、大変だったでしょうね。
しかし、それは期待の現れともいえそうです。
「これだけの危機のなか、鍼灸師にも薬剤の知識をもってもらって、対応してもらわないと困る」という国からのメッセージにほかなりませんからね。
それに比べて、コロナウイルス感染症が拡大している令和の時代はどうでしょうか。
形は違いますが、感染症が大流行しているという点では、平安時代と共通しています。
国は、鍼灸師に医療者として何か期待しているでしょうか。
むしろ「感染リスクが高い」と、治療院から患者さんの足が遠のき、経営が苦しくなっている鍼灸院もあります。
コロナウイルス感染症がちょうど拡大し始めた頃、月刊「医道の日本」でのスタンスについても、編集部内で議論がなされました。
「さすがに今、この状態で鍼灸を推奨するのは良くないのではないか?」。そんな意見もあれば、全く逆の「今だからこそ、鍼灸ができることがあるのではないか?」という意見もありました。
議論を重ねた結果、「緊急企画」として「新型コロナウイルス感染症と鍼灸治療」と題して、2020年5月号から休刊号となった2020年7月号まで、実に3回にわたって特集を組むことにしました。
今だからこそ鍼灸師にできることがある……そちらに振り切ることにしたのです。
主な企画を見てもらっても、力を入れたことがわかっていただけるかと思います。
【2020年5月号「医道の日本」掲載】
・COVID-19のための鍼灸介入ガイドライン(第2版)中国鍼灸学会(訳:編集部、監訳:荒川緑)
・新型コロナウイルス感染症の流行に関する動向
【2020年6月号「医道の日本」掲載】
・新型コロナウイルスに関連する事業者向けの支援や給付金制度
・COVID-19の〈災害急性期〉に鍼灸師のできること /平岡遼・石川家明
・SNSを利用したオンライン舌診とセルフケアメソッドの処方の可能性について /若林理砂
・緊急アンケート
・外邪性疾患のツボ選び /足立繁久
・新型コロナウイルス感染症の流行に関する世界の動き、業界の動き
【2020年7月号「医道の日本」掲載】
・アンケート2 新型コロナウイルス感染症に対する養成施設での取り組み
・アンケート3(海外) 新型コロナウイルス感染症の影響と考え方、あはき師にできること
・レポート PCR検査を受けたら、こうだった!
・新型コロナウイルス感染症の流行に関する世界の動き
やや終息の兆しが見えてきたものの、今も依然としてコロナ禍にあります。
また、これから先の未来で、新たな感染症が広がることも十分に予想されます。
そんなときは、どうか思い出してほしいのです。
鍼灸を学ぶ「針生」たちに対して、国が「危機に直面している!これだけ新たに学んで、しっかり対応してくれ!」と期待された時代があったということを。
未曾有の危機だからこそ、鍼灸師やあん摩マッサージ師の医療職の方々に対して、政府も国民も大いなる期待を寄せる、そんな時代が来ればよいなと私は願っています。
これだけ地域に根差した治療院が全国津々浦々にあるわけですから。活用しない手はないのではないでしょうか。
それには、鍼灸や鍼灸師そのものがもっと広く知られる必要があります。
それが本連載の目的の一つでもあります。ここまで読んでくださった方は、ぜひ記事を広めてもらえればうれしく思います。
普及啓発活動は、ちょっとしたことの積み重ねですから。
では、また来月、お会いしましょう。
【参考文献】
1) 奈良県薬業史編さん審議会編『奈良県薬業史』(奈良県薬業連合会)
2) 黒板勝美編『新訂増補 国史大系 第22 巻 律令義解』(吉川弘文館)
3) 小曽戸洋「特別講演Ⅰ 日中医薬文化交流史 ―博多を窓口として」日本医史学雑誌 1997; 43(3).
4) 小曽戸洋、天野陽介『針灸の歴史: 悠久の東洋医術』(大修館書店)
5)宮川隆弘「『劉涓子鬼遺方』の鍼灸について」日本医史学雑誌 2009; 55(2):178.
6) 「新型コロナウイルス感染症と鍼灸治療」医道の日本 2020; 79(5).
7) 「新型コロナウイルス感染症と鍼灸治療 第2弾」医道の日本 2020; 79(6).
8) 「新型コロナウイルス感染症と鍼灸治療 第3弾」医道の日本 2020; 79(7).